寄付のあり方を考える
先週、先々週と私の配属先の学校に2つの寄付の品が届いた。
一つ目は木の苗木。二つ目は教科書や本。
それぞれセレモニーが行われた。
全校生徒と職員が集合。授業時間中に。
そう。授業時間中に。
しかも、突発的に。
(↑予定されていた感じはなかった。知らなかっただけかもしれないけど。)
寄付をしてもらった側として、相手に感謝の意を示すために、
セレモニーをするのはわかる。
でも、授業時間は?削ってもいいの?全校生徒分。
日本なら、何かで授業時間が他の予定に変わっても、
補習なり授業の交換なりで授業時間を補ってた(と思う)。
そんな気の利いたシステムは…ない。
学ぶ権利の侵害では?と思ったり。
さらに、本の寄付の一コマ。
セレモニー中に生徒に配布し始めた。
明らかに全校生徒分の本はないのに。
それ、不公平じゃない?
配られなかった本はどこかでちゃんと管理されるの?
誰が管理するの?
寄付していただいた方には非常に失礼な感情かもしれない。
でも、今回の寄付で気づいた。
寄付で大切なのは、
"物を寄付すること・いただくこと"ではない。
その物のマネージメントまでを支援すること、
その物を活用してくれる人を確保すること・育てること、
公平に支援するということ
が大切なのではないか。
寄付をしたい!!という気持ち・厚意は、素直に素敵だと思います。
ただ寄付をする側は、
それが本当に役立てられるか・マネージメントされるか
まで視野に入れて寄付をしないと、やや無責任になる可能性もあるかもしれません。
ここまで、かなり偉そうな感じになってしまいましたが、
こういうソフトな部分の支援をするために私(を含む協力隊)がいるんですよね。
自分にもっと力量があれば、こういう寄付の活用もできるのに…!!
非常に悔しい。私も一職員として、自分の意見を言って行動起こすくらいにならなければ!!
そして、私がかつて、ガールスカウトでやっていたピースパック活動
(難民の子どもたちに文房具や生活用品を送るプロジェクト)は、
当時、同年代の子供たちの役に立ちたい…!!という思いでやっていたけれど、
そこで不満や不公平を生まなかったか、とやや不安な気持ちにも。
寄付する側こそ、学ぶことが必要ですね。
学生のときは授業時間が潰れるの喜んでたけども、
先生の立場に立ってみると、全然真逆のこと思うんだなぁ。
いや、授業時間がちょっとでも減ることに敏感になるくらい、
まだまだ自分の授業に余裕がない証拠なのかもw
だいぶ稚拙な文章になりましたが、素直な気持ちを書いてみました。
これも、現場にいるから感じられること。ありがたいことです。
さっ!これを機に学ぶぞー!!!成長するぞー!!!役に立つぞー!!!
<おまけ1>学校に貼ってるニュースレターの1月号と2月号
1月号はお正月特集、2月号は節分&バレンタインデー特集になっております!